投稿者 Y.Takahashi 1999 年 6 月 06 日 01:34:34
皆さんの意見のやり取り、楽しく拝見させていただきました。
ここで一つ皆さんの意見を整理してみましょうか。
まずトクシマンさんは「二郎=ラーメン」であり、「次郎という料理がある」ということには
違和感がある旨おっしゃいました。
それに対して佐藤@M響さんは「二郎=ラーメン」説に同調するご意見を。
続いてなんさんが「二郎という料理」という表現は
繊細さという言葉と無縁の豪快さを表すところから生まれたのではないのか、
そしてデリ麺さんは同じく二郎に対するファンの愛情から生まれた
寛容さを表す表現であり、
小栗帽子さんはこの言葉のことを味の良し悪しの差があるが
自分の学生時代の思い出を含めた寛容を表す表現であるという意見を述べられました。
またぶぶるさんは「二郎にラーメンを求めていく」立場から
「二郎という料理」は三田本店の強烈な個性を照らし出す表現として生まれたというご意見を述べられております。
おのおのがたがそれぞれ表現は違うものの、「二郎のラーメン」に対して愛情をもって接し、
ご意見を述べられていることは変わらないと思います。
確かに私も二郎にはラーメンを求めて通う一人です。
けれどもあのいわゆる一般的なラーメンの常識を超える一品、
そして呪文などは慶大生の大学時代の思い出などとあいまって
二郎を特殊な存在、すなわち二郎を他のラーメン屋さんから異なった個性として
特異化させるに値するのではないか、そしてそのことを
「二郎という料理」という表現に昇華することが出来るのではないかと思うのです。
それぞれの方の二郎についての考え方を楽しく読ませていただいたのですが...、
それを指して議論がかみ合っていないとおっしゃるのは???という気がするのですが。
M響さんは二郎よりも個性的なラーメンがある、
ということをおっしゃりたかったのかもしれませんが、
だからといって十分成立している議論を指して
議論を噛みあっていなと話の腰を折るような言い方をされたことに
私は少なからず疑問を感じました。